甲府地方裁判所 昭和32年(ワ)150号 判決 1963年7月18日
原告 長田文蔵
被告 郷実
主文
一、原告が別紙第一目録(1) 、(15)、(16)、(8) 、(18)、(19)、(11)、(1) 点を結ぶ線をもつて囲まれた土地に対し通行権を有することを確認する。
二、被告は原告に対し、別紙第二目録一、の(ロ)、四、の(ロ)の建物部分、同二、三、五の(ロ)の物件を収去せよ。
三、被告は原告が第一項の土地を通行することを妨害してはならない。
四、原告のその余の請求を棄却する。
五、訴訟費用は五分し、その四を被告の、その一を原告の負担とする。
六、第二項にかぎり原告において金三万円の担保を提供するときは仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、「一、原告が別紙第一目録(1) 、(4) 、(12)、(8) 、(9) 、(10)、(11)、(1) 点を結ぶ線をもつて囲まれた土地に対して通行権を有することを確認する。二、被告は原告に対して同第二目録一、四の各(イ)の建物部分及び二、三、五の(イ)の物件を収去せよ。三、被告は原告が右土地を通行することを妨げてはならない。四、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、
一、原告は昭和三二年五月六日訴外五味近信より同人所有の甲府市竪近習町一番地の四(以下一番の四と呼ぶ)、同番地の六(以下一番の六と呼ぶ)、と一番の四上にある木造トタン葺平家建住居一棟建坪一五坪、一番の六上にある木造瓦葺二階建共同住宅一棟を買受けその所有権を取得した。
二、一番の四、六の土地は同所一番の一乃至一二(但し一〇は現在七に合筆)の土地とともに分割前は同市竪近習町一番地(以下旧一番地と呼ぶ)の一部であり、旧一番地はその東、南、北の三辺の境界線は他人所有の宅地に接し、西側境界線のみ通称境町通り又は竪近習町通り公路(以下単に公路と呼ぶ)に接していたところ、分割後の一番の各土地の位置は別紙第二図のとおりであり、一番の四は各地中の東北部即ち公路よりもつとも奥の部分にあり、一番の六はその西側に接続し、一番の六と右公路との間には一番の三があり、(その境界は別紙第一目録(8) 、(12)点を結ぶ線であり、(8) 点は一番の六の西南隅であり同線上にコンクリート土台がある。)一番の四、六の各南は一番の一、九が続き、その北は堀内某所有の甲府市境町三九番地に、その東は米沢賞重所有の同市富士川町三八番地に続いている。右のように一番の四、六の土地は袋地であり、袋地となつたのは右分割のためであるから原告は囲繞地通行権に基き右各地より公路に通ずるために右両地以外の一番の各地中いずれかを通行し得るものである。
三、そこで右通行権の及ぶ範囲を考えると、
(一) 現在、別紙第一目録(1) 、(3) 、(5) 、(7) 、(8) 、(11)、(1) 点を順次結ぶ線によつて囲まれた幅三尺乃至三尺六寸の土地が空地となつており、通路が同所附近にないため一番の四、六、七、一一、等の各土地上の所有者居住者その他は右土地より公路への出入のために同所を使用している。そして右空地の生じた経緯は、旧一番地はもと浅川孝雄が所有し同地上に貸家を有していたが、同人はその借家人の公路への出入のために右土地の南北のほゞ中央部に幅約九尺、公路にほゞ直角に交叉する東西に通ずる通路を設けていたが、右空地はもと右通路の一部となつていたものである。ところが、終戦後浅川孝雄は右通路を残すことなく旧一番地を分割し他へ譲渡し、うち一番の三を買受けた被告は右土地中その南側境界線即ち別紙第一目録(3) 、(5) 、(7) 、(8) 点を結ぶ線一杯に別紙第二目録一の建物二、三の板塀、コンクリート造土台を、又右線より北へ約二尺三寸の地点にその南西隅があり、その南側外壁が同点より右線に平行して東西に九尺五寸ある四の物置を建て、又一番の八、一一、七の買受人もそれぞれ別紙第一目録(1) 、(11)点を結ぶ線まで建物その他の物件を築造し、そのため前述の通路はなくなり現在のような空地となつているものである。右のような現況、経緯からも明らかなように従来から一番の四、六から公路への出入には右空地が利用されていたし、同所が公路への最短距離であるから、同所附近に右通行権が確定されるべきである。
(二) そして右各土地附近は市街地であり、人家も密集し、建築基準法等によるも通路は幅員二米約六尺六寸以上であることが相当とされる。現在右空地の幅は西端において約三尺六寸、東端において約三尺であるが、その所属地番は一番の三と一番の八、一一、七の境界線が別紙第一目録(3) 、(5) 、(7) 、(8) 点を結ぶ線であるので、すべて一番の八、一一、七地内にある。したがつて右空地をふくめて幅六尺六寸の通路を定めるについては、一番の八、一一、七の各土地の所有者にのみ犠牲を強いるべきではなく、北隣する一番の三の所有者被告にも犠牲を公平に負担させ、一番の三の土地中右境界線に沿つて幅約三尺位の範囲の部分即ち別紙第一目録(3) 、(4) 、(12)、(8) 、(3) 点を結んだ線によつて囲まれた範囲を右空地とともに通路とすべきである。
(三) 一番の四より公路に通ずるために従来一番の一、九の土地中の一番の四、六と一番の一、九との境界線に沿つて南へ幅約三尺の範囲、即ち別紙第一目録(8) 、(9) 、(10)、(11)、(8) 点を結ぶ線によつて囲まれた土地が前述の空地に続く土地として一番の四より公路への通行のため使用されていた。然るに被告は策謀をもつて昭和三一年九月中一番の一を又同三二年六月中一番の九の所有権を取得し、右境界線上に有刺鉄線付木柵を設け右土地を通行することができないようにした。右木柵はその後仮処分命令により一尺五寸南へ移されたが、右(8) 、(9) 、(10)、(11)、(8) 点を結ぶ線により囲まれた土地は一番の四より公路に出入するために前項の別紙第一目録(1) 、(4) 、(12)、(8) 、(11)、(1) 点を結ぶ線により囲まれた土地に通ずるため不可欠の土地であるから、前項の土地に続き右(8) 、(9) 、(10)、(11)、(8) 点を結ぶ線で囲まれた土地にも通行権の範囲は及ぶのである。
四、したがつて右通行権は、別紙第一目録(1) 、(4) 、(12)、(8) 、(9) 、(10)、(11)、(1) 点を結ぶ線によつて囲まれた土地に及ぶのであるから、原告が同地に対し囲繞地通行権を有することの確認を求め又被告に対して右土地中にある別紙第二目録一、四の各(イ)、二、三、五の(イ)の物件の収去を求め、又被告は従来前記空地を原告等が通行しようとした折、言語に絶する妨害をし、今後も原告の右通路の通行に妨害するおそれがあるから右通行権に基き予じめ右妨害の禁止を求める。と述べた。
五、被告の主張事実中、原告がその後一番の六の地上の共同住宅を収去したこと、一番の四の居宅に居住していないこと、右共同住宅建築につき建築確認が得られなかつたこと、五味近信が右建築につき罰金刑に処せられたこと、被告主張のような訴訟のあつたことは認めるがその余の事実はすべて否認する。
と述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は、第一次的に「原告の請求を却下する。」との判決を求め、その理由として、一番の四、六は五味近信が所有し一番の六の地上に建築基準法第七条の確認を得られなかつた違法な共同住宅を建築したため五味と被告との間に争が起り、五味は被告を相手どり甲府簡易裁判所昭和三一年(ハ)第五三九号通行権確認事件を提起したが訴訟の進行もはかばかしくなく、又五味は右建築につき建築基準法違反として罰金刑を受けたので、原告と通謀の上原告の名において本訴を提起するために原告に右土地を売却したよう装つたものである。右のように原告は右土地につき所有権はなく、本判決肩書住所に居住し、右共同住宅も取りこわし、右土地を全く使用していない。したがつてたとえ右土地が袋地であつたとしてもその主張のような通行権の確認を求めることや、通行につき妨害排除を求めることは必要も利益もない。よつて原告の本訴請求は訴の利益を欠くから却下せらるべきである。第二次的に、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、請求原因一、二の事実中一番の四の土地上に原告主張の建物のあること、一番の一乃至一二の各土地がもと浅川孝雄所有の旧一番地の各一部であり同地より分割されたものであること、一番の各地の位置が原告主張のように別紙第二図のとおりであること、一番の三と一番の六の境界が別紙第一目録(8) 、(12)点を結ぶ線であり、同所にコンクリート土台があること、旧一番地は原告主張のように東、南、北の三辺は他人の所有地と接し、西側境界線のみが公路に面していたこと、同三の(一)の事実中別紙第一目録(1) 、(3) 、(5) 、(7) 、(8) 、(11)、(1) 点を結ぶ線で囲まれた幅約三尺乃至三尺六寸の土地が空地となつていること、同(二)の事実中旧一番地がもと浅川孝雄の所有であつたこと、うち現在の一番の三を被告が買受け、右土地中に、別紙第一目録(5) 、(7) 、(8) 点を結ぶ線上まで被告が原告主張のとおり別紙第二目録の居宅、板塀、コンクリート造土台を構築し又原告主張の地点にその主張のような物置を建てたこと、同(二)の事実中右土地の存在する土地附近がいわゆる市街地であること、同(三)の事実中一番の一、九の土地を被告が所有すること、一番の一、九と一番の四、六の境界が別紙第一目録(8) 、(9) 点を結ぶ線であること、被告が原告主張の地点に有刺鉄線付木柵を作つたこと、仮処分命令により右木柵を南へ一尺五寸移したこと等は認めるがその余の事実は争う。一番の三と一番の八、一一、七との境界線は別紙第一目録(2) 、(20)点を結ぶ線であり、したがつて原告主張の各物件は一番の三の土地の南側境界線より、約一尺五寸北方に築造されているのであると述べ更に、
一、前述のように原告は一番の四、六の土地の所有権を有しないから右土地のために通行権の確認を求め得ない。
二、右一番の四、六の土地と公路との間には別紙第一目録(1) 、(3) 、(5) 、(7) 、(8) 、(11)、(1) 点を結ぶ線によつて囲まれた空地があり原告は右空地を通行し得るのであるから一番の四、六の土地は袋地とは云えない。
三、仮に一番の四、六が袋地であり原告が所有するとしても、次のような諸理由により原告はその主張のような土地に通行権を有しない。
(一) 原告は五味近信より一番の四、六を買受ける際、五味との間で右土地より公路に出入するため現在の一番の五、一二、一一、七の各地の南側境界線に沿つて幅約六尺の通路を設定するという約束をした上右土地を買受けたものであるから同所のみに通行権を有するのである。
(二) 五味は前述の共同住宅を建築する際、一番の六、四の東側にある米沢賞重所有の甲府市富士川町三八番地を通り更に北方に抜け富士川町公路に通ずる通路を設定することとなつていたから原告は富士川町の土地に対して通行権を有し原告主張の個所には通行権を有しない。
四、一番の各地中本訴に関連する土地が旧一番地から分割された経緯は、先ず浅川孝雄はその所有の旧一番地を一番の三、一番の一に分割し一番の三を被告に売渡し、次いで一番の一の一部を分割して一番の四(現在の六をふくむ)を五味近信に売渡しその後一番の一を更に分割して一番の七、八、九、一一として他へ売渡したものである。したがつて浅川孝雄が一番の一より一番の四、(六)を分割する前においては、一番の一は現在の一番の八の土地において公路に接していたので、一番の四、(六)は一番の一の一部として公路に接する土地であつたので、一番の四(六)が袋地になつたのは一番の一より四(六)を分割したためである。したがつて民法第二一三条により一番の四、六の所有者は右分割前の一番の一の中一番の四(六)以外の個所即ち現在の一番の八、一一、七の土地のみを通行し得るものである。したがつて一番の三の土地即ち別紙第一目録(2) 、(20)点を結ぶ線より北の土地については通行権がない。
と述べた。<立証省略>
理由
一、被告は、原告は一番の四、六の土地につき所有権を有しないし、現に使用もしていないので、本訴請求は確認の利益を欠くと主張するが、証人五味近信の証言、原告の供述、それらにより成立の認められる甲第一号証、成立に争ない甲第二号証の一、二、証人山中真一、長田幸江の証言によると原告は昭和三二年五月六日五味近信より一番の四及びその地上の住宅、一番の六及びその地上の共同住宅を代金計一一〇万円で買受けその所有権を取得したことが認められ、その反証はない。そして袋地の所有者は袋地を現に使用しているか否かを問わず囲繞地に対して通行権を主張することができ、これを争う者に対し、その確認を求める利益はあると解せられ、被告が原告主張の通行権を争つていることは弁論の全趣旨により極めて明らかであるから本訴は確認の利益がある。
二、そこで本案の判断に進むが、原告は一番の四、六は袋地であると主張するので検討する。
旧一番地はその境界線中東、南、北の三辺がそれぞれ他人の所有地に接続し、西側境界線のみが通称境町通り又は竪近習町通り公路(以下公路と略称)に接続していたこと、旧一番地は一番の一乃至一二(但し一〇は七に合筆された)に分割され、分割後の各土地の位置が別紙第二図面のとおりであり、一番の四、六と公路との間に一番の三があり、一番の四、六の南側に一番の一、九が続いていることは当事者間に争がない。したがつて一番の四、六は旧一番地の一部として公路に面していたが、分割後公路に面しない土地となつたことが明白である。ところで現在別紙第一目録(1) 、(3) 、(5) 、(7) 、(8) 、(11)、(1) 点を順次結ぶ線が空地であること、(8) 点が一番の六の西南隅(8) 、(9) 線が一番の四、六と一番の一、九の境界線であることは当事者間に争がなく、被告は、原告は右空地を通つて一番の四、六より公路に出入できるし従来も原告はじめその他の者も通行していたのであるから袋地ではないと主張するので検討する。成立に争ない甲第二号証の一、二、第三号証の一、二、三、第四号証、第五号証の一乃至五、第六号証の一、二、三、第七号証の一乃至四、第八号証の一、二、証人浅川孝雄、五味近信、五味はま、依田保、一ノ瀬昭三、郷つね子(第一、二回)古屋三良、山本勇の証言、成立に争ない甲第六号証の一、二、三、検証の結果(第一、二回)、鑑定人小林昭一作成の実測図その二当事者間に争ない旧一番地がもと浅川孝雄の所有に属しその後分割の上一番の各地となつたこと、分割後の一番の各地の位置が別紙第二図面のとおりであること等と弁論の全趣旨を総合すると、浅川孝雄が旧一番地を所有していた頃同人は同地上に貸家を有し右土地中東部にある貸家の借家人が公路に出入出来るように右空地附近に幅約六尺の公路にほゞ直角に交じわる東西に通ずる通路を設けていたこと、然るにその後浅川は右通路を保留することなく一番の三、四、六と一番の八、一一、七、九、一とを南北に境を接して分割し各譲渡したため右通路はなくなつたこと、右通路とされていた部分は右各土地の譲受人が各地上に建物その他の物件を築造するにつれせばまつたが現在も幅約三尺の空地として残り、現在通路ではないが他に通路がないため公路と一番の四、六、一一、七、九等との通行のため人々は右空地を止むなく通行していることが認められる。証人浅川孝雄、五味近信、五味はま、山本勇の証言や、甲第六号証の二、三、第一一号証の二の記載中右認定に牴触する部分は信用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。すると一番の四、六と公路との間にある空地は単に各建物その他の物件の間隙地であるにとゞまりこれをもつて通路とは解しがたい。
そして、右空地の外一番の各地中に一番の四、六より公路に通ずる通路はもとより空地すらもないことは前述の事実、前出甲第二号証の一乃至六号証の三、証人五味近信、五味はま、依田保、一ノ瀬昭三の各証言、検証の結果(第一回)により認められ、その反証はない。
すると一番の四、六は袋地であることは明らかであるから原告はその囲繞地に通行権を有する。
三、囲繞地通行権確認訴訟の性質は右のような通行権が具体的に囲繞地のどの部分にあるかを口頭弁論終結時の諸事情に照し判決により確定することにあるから次にそのような通行権の範囲を定める。
(一) 被告は、右土地の前所有者五味近信は一番の六の土地上に共同住宅を建築する折、一番の六、四よりその東側に接する甲府市富士川町三九番地等を通つて富士川町公路に通ずる通路を設定することとなつていたから、右囲繞地中一番の各地内ではなく東側の富士川町の土地中を通行すべきであると主張するところ、右のような計画のあつたことは甲第一〇号証、証人五味近信、五味はま、山本勇の証言により認められるが成立に争ない甲第九号証の一、二、右各証言によると結局右通路の設定は不可能となり、そのため右共同住宅も違法な建築となつたことが認められる。したがつて右計画のあつたことの故に右通行権に基き被告主張のような土地に通路を確定すべきであるとは云えない。そして前に述べたように一番の四、六の土地は旧一番地を分割したため、袋地となつたのであるから原告は右囲繞地通行権に基き旧一番地のいずれかの土地のみを通行しうるのである。
(二) そこで旧一番地中どの部分が相当であるかを考える。前述のように別紙第一目録(1) 、(3) 、(5) 、(7) 、(8) 、(11)、(1) 点を結ぶ線により囲まれた土地が現在幅約三尺乃至三尺六寸の空地となつていること、同個所を公路より一番の四、六、七、一一等の土地に出入するため人々が使用していること、検証の結果(第一、二回)前出甲第六号証の一により明らかな一番の四、六より公路へは右個所が最短距離であること、旧一番地中他の個所にはそれぞれ建物その他の物件が築造され、右空地のように公路まで続く空地のないこと等によると右空地を利用しその附近を通行することが囲繞地にとつても損害がもつとも少く、袋地にとつても便利であるので同所附近を通行するのが相当である。被告は、原告は一番の四、六の土地を買受ける折、売主五味近信と右土地より公路に出入するため一番の七、一一、八の南側境界線附近に通路を設定する約束をしたから同所附近を通行するを相当とすると主張するが、甲第六号証の二、証人古屋三良の証言にそのようなことがかつて企てられたこともあるよう述べている部分があるのみで右のような約束を認めるに足る証拠は全くないから右主張は採用し難い。
(三) 次に右空地は現在幅約三尺であるところ、証人五味近信の証言によると五味が昭和三一年一番の六の土地上にアパートを建築する際県より幅二米の公路に通ずる通路の設置を建築確認の条件とされたことが認められ反証はなく、この事実と建築基準法によると建築物の敷地は二米以上通路に接していなければならないことになつている(同法第四三条)ことと当事者間に争ない一番の四、六及びその周辺の土地は市街地であること、検証の結果(第一、二回)甲第六号証の一により明らかなように右土地附近は住宅その他がかなり密集していること、一般に車輛等の通行には二米位の道幅が必要なこと等によると、少くとも右通路の幅員は二米、即ち約六尺六寸を要するものと認められる。したがつて右空地に沿つて更に幅約三尺六寸の土地を通路とする必要がある。
(四) よつて、右幅約三尺六寸の土地はどの個所が相当であるかを検討する。原告は前述の空地は一番の八、一一、七に属し一番の八、一一、七と一番の三の境界線は別紙第一目録(3) 、(5) 、(7) 、(8) 点を結ぶ線であると主張し、被告は右空地の約北半分は一番の三に属し右境界線は同(2) 、(20)点を結ぶ線であると主張するので考える。別紙第一目録(8) 、(9) 点を結ぶ線が一一番の四、六と一番の一、九との境界線であること、もと右境界線上に被告が有刺鉄線付木柵を設置したが仮処分命令により約一尺五寸南側へ移されたことは当事者間に争がなく、右事実と成立に争ない甲第二号証の一、二、第三号証の一、三による一番の四、六、一、九の各公簿面積、鑑定人小林昭一の鑑定の結果中実測図その二、証人五味近信、五味はま、浅川孝雄、郷つね子(第一、二回)の証言、前出甲第六号証の一、二、三、原告の供述を総合すると、右(ヘ)点は一番の六と一番の九の境界線上の西端となつているが、同時に一番の三と一番の七との接する点ともなつており(前記証拠中就中一番の四、六、一、九の公簿面積と鑑定の実測図、第一回検証の結果見取図二、三、写真四号)、したがつて右境界線の東端は(8) 点であること、そして右境界線は(8) 点より被告方コンクリート造土台の南端更に板塀に沿つて別紙第一目録(7) 点にいたること、(7) 点より西は(7) 点より被告の建物の南側雨落線に沿つて被告主張の埋没石南西隅即ち別紙第一目録(2) 点にいたることが認められる。証人五味近信、五味はま、浅川孝雄、郷つね子(第一、二回)の証言、甲第六号証の一、二、三、甲第一一号証の二、原告の供述中右認定に牴触する部分は信用し難い。又、甲第四号証(分間図)によると右(8) 点は一番の三、六、九、七の四方境の境界点とはならず一番の六の南西隅は一番の七の境界線上にあり、一番の九の北西隅は一番の六の南側境界線上にあり、一番の六と一番の九の境界線の西端は一番の六の南西隅にも一番の三の南東隅にもならぬが、鑑定人小林昭一の鑑定の結果によるも右分間図は実測図との差異、形状の違いが大きく分間図を実地にあてはめることは不可能であるし、その作成の実測図二と前出甲第二号証の一、第三号証の一、三による一番の四、六の公簿面積と一番の一、九の公簿面積によると一番の六と九の西側境界線は別紙第二図面のように同一直線上にありしたがつて(8) 点も右認定のように四方境となると認められるので甲第四号証をもつて右認定を左右できない。更に鑑定人小林昭一の鑑定の結果につき考えてみると、右鑑定の実測図その一によると右鑑定は当事者間に争ない(ヘ)点は同図面(c′)点であるのに誤つてこれを(c)点としこれを基礎にしているが、これによると一番の三、と一番の一、九、七、五、八、一一の実測面積を測量しこれと公簿面積を比較し、一番の三が公簿面積より実測面積が一、〇二坪少く、一番の一、九、七、五、八、一一は逆に実測面積が八、三四坪多いこととなり、一番の三の不足面積を(c)点より南側にとると(c)点より約三寸南方よりの地点と同図(A)点(別紙第一目録(7) 点)を結ぶ線同図朱線が境界になることとなる。ところで右鑑定は前述のように(c′)点とすべき点を(C)点として測量したのであるが、これを正しい(C)点を基準として測量すれば更に一番の三は前述の実測より同図(A)、(C)、(c′)点を結ぶ三角形の土地の部分だけ実測面積がへり、公簿面積との差が大きくなり、逆に一番の一、九、七、一一、八、五は実測面積が増えることとなるのであるが、結局(C)点を基準としても公簿面積に合わせて一番の三の南側境界線をとると前述の同図赤線になり、その東端は(c′)点より(C)、(c′)点約一尺二寸、(C)点より前述のように約三寸即ち(c′)点より約一尺五寸の地点となり、被告主張の別紙第一図面(2) 、(20)点を結ぶ線となるのである。したがつて前述の当裁判所の認定した境界線によると実測図(一)の(A)、(C)線一九、九間と、(C)点と右赤線東端との一尺五寸を乗じた二分の一即ち約五坪程、一番の三は公簿面積より少いこととなるが、その公簿面積一一〇坪が果して五坪の誤差も生じない程正確なものであることは前述の分間図も甚だ不正確なことによつても保し難く、右差異のあることをもつて前述の認定を左右できない。そしてこれらの外右認定を左右すべき認拠はない。したがつて右境界線は別紙第一目録(2) 、(7) 、(8) 点を結ぶ線である。
(五) 次に被告は、一番の三は旧一番地より被告に分割譲渡され一番の三の残りが一番の一となり、その後一番の四、六(もと一番の四)が分割譲渡されたものであり、一番の四、六は右分割前は一番の一の一部として公路に接していたのであり分割により袋地となつたものであるから、一番の一のみを通行しうるにとゞまり、すでに他人所有になつていた一番の三を通行できないと主張し、民法第二一三条の趣旨によれば右のような場合一番の三を通行し得ないと解せられる。然し、一番の三が一番の四、六より先に分割譲渡された点については証人郷つね子の証言(第一、二回)山本勇の証言の各一部と乙第一号証の外その証拠がなく、右証言は信用し難く、又乙第一号証をもつて直ちに、これを認めることはできず、却つて成立に争ない甲第二号証の一、第三号証の二によると一番の三と一番の四は同時に旧一番地より分割譲渡されたことが明らかである。したがつて被告の主張はその前提を欠き失当である。
(六) ところで、右のように同時に分割譲渡された場合においても売主はなお右譲渡によつて袋地となつた土地のために自己の残在所有地に通路を設け、他へ譲渡してしまつた土地中に通路が設定されるような事態を避けるべきであることは条理上当然であり、浅川孝雄は一番の三、四、六を売渡した後も現在の一番の八、一一、七を所有していたことは成立に争ない甲第五号証の一、三により明らかであるから、浅川は一番の四、六から公路への通行のため一番の八、一一、七の土地中に通路を設定すべきであつたのである。そして前に認定した事実(理由二及び三の(二)、(四))、証人五味近信、五味はま、郷つね子(第一、二回)、浅川孝雄の証言によると事実その後別紙第一目録(1) 、(3) 、(5) 、(7) 、(8) 、(11)、(1) 点を結ぶ線をもつて囲まれた土地とその南側に続く幅約三尺の土地、つまり大半は一番の八、一一、七が一番の四(六)等から公路への通路として利用されていたこと、然るに浅川はその後右一番の八、一一、七の土地を、通路を残さず一番の三の南側境界線まで他に譲渡してしまつたことが認められる。証人浅川孝雄、郷つね子(第一、二回)甲第一一号証の二の証言中右認定に牴触する部分は信用し難い、そこでこのような場合一番の四、六の囲繞地通行権の範囲は、後に譲渡された一番の一一、八、七の土地中のみに定めることを相当とするように思われないでもないが、浅川には右のような譲渡の仕方について大きな責任があるとしても、一番の一一、八、七の譲受人には、通路を残さずに譲受けたことについて、そのために右土地中にのみ通路を設定せられて全面的に犠牲を強いられる程の責任はないし、又一番の四、六の所有者等も右通路を残さず右のよう譲渡されたことにつき、そのため一番の一一、八、七の土地にのみ通路の設定を受けなければならなくなるような責任もないので、結局右のような各土地の分割譲渡の経緯は、通行権の範囲の確定の際に参酌せられるべき重要な事実であることは勿論であるが、右事実をもつて直に右通行権の範囲を一番の三の土地中に定め得ないとは云うことができない。むしろ、右のような事情を含めて囲繞地すべての事情を相隣関係を律する協調の精神にしたがつて判断の上右範囲を確定すべきものと解せられる。
(七) そして上に認定して来た諸事実、検証の結果(第一、二回)(就中一番の各地の現況、各地上の建物等の竪固さの程度)鑑定人小林昭一の作成した実測図その二を総合して、右通行権の範囲は別紙第一目録(14)、(15)、(16)、(17)点を結ぶ線によつて囲まれた土地、即ち一番の三と一番の一一、八、七との境界線より北側一番の三の土地中へ約二尺六寸、南側へ約四尺の幅を有する右境界線に沿つて東西に通ずる土地を相当と認める。
(八) 原告は右部分の外一番の一、九の土地中に通行権の設定を求めるが、右通行権の範囲は必要最小限度に定められるべきであるので、一番の四の土地は袋地ではあるが原告の所有の一番の六を通つて前項で定めた通路に出入できるのであるから一番の四のために被告所有の一番の一、九の土地中に右とは別に通路を設定することは相当でない。したがつて右通路は一番の四、六のための通路であるが、右通路と一番の四の土地との接する部分は別紙第一目録(8) 、(16)点を結ぶ線のみであり右線は前述のように二尺六寸であるから、これのみでは一番の四より右通路への出入に十分でないので更に右通路に出入するために必要不可欠の土地として一番の九の土地中別紙第一目録(11)、(8) 、(18)、(19)点を結ぶ範囲をも前記通路とともに通行権の及ぶ範囲と定めるを相当とする。
(九) よつて原告の通行権確認請求中別紙第一目録(1) 、(15)、(16)、(8) 、(18)、(19)、(11)、(1) 点を結ぶ線によつて囲まれた土地については理由があるから認容し、その余を棄却する。
四、次に原告は建物部分等の収去を求めるので判断する。
前述の通行権の及ぶ土地上に被告所有の別紙第二目録の各物件があること及びその存在の場所については当事者間に争がなく、検証の結果(第一、二回)、鑑定人小林昭一作成の実測図その二によると右物件中第二目録(一)の建物については同(一)の(ロ)の部分、同(四)の(ロ)の建物については(四)、(ロ)の部分が右土地上にあることが明らかであり反証はない。そして原告が通行権に基き被告に対して右土地上にある右物件の収去を求めうること勿論であるので、右請求中別紙第二目録(一)の(ロ)、(四)の(ロ)の建物部分、(二)、(三)、五の(ロ)の物件の収去を求める部分を認容し、その余を棄却する。
五、次に原告は右通行権に基き被告に対して、原告が右土地を通行することにつき妨害予防を求めるところ、成立に争ない甲第六号証の一、第七号証の一、二、三、第八号証の一、二、証人五味近信、五味はま、長田幸江(第一、二回)、依田保、一瀬昭三の証言及び前認定の事実によると別紙第一目録(1) 、(3) 、(5) 、(7) 、(8) 、(11)、(1) 点を結ぶ線によつて囲まれた空地が通行に使用されていた折、一番の四、六の土地への出入につき被告やその妻は右土地中に薪を積んだり、汲取りを妨げたり、通行する人に悪口をあびせたり等してあらゆる手段で右通行を妨害したことが認められ、右認定に牴触する証人郷つね子(第一、二回)山本勇の証言の一部、甲第六号証の二、三、第一一号証の二の一部は信用し難く他に右認定をくつがえすべき証拠はない。右事実と弁論の全趣旨によると原告が被告に対し右妨害予防を求める必要があること明白であるから右請求を認容する。
六、よつて原告の請求中前述の範囲で認容し、その余を棄却し、訴訟費用は五分しその四を被告の、その一を原告の負担とし、被告に物件の収去を命ずる部分につき原告に担保を提供せしめて仮執行宣言を付し、主文のとおり判決する。
(裁判官 田尾桃二)
別紙
第一目録
甲府市竪近習町一番地の八にある日新火災海上保険株式会社所有の建物の北側モルタル塗外壁の接地線の延長とその西方の通称境町通り(又は竪近習町公道)公路の東側測溝の東側面との接触点を(1) とする。
(1) 点より右測溝東側面に沿つて(1) 点より北へ一尺九寸の地点即ち埋没石の南西隅を(2) 点、三尺六寸の地点を(3) 点、六尺六寸の地点を(4) 点とする。
甲府市竪近習町一番地の三にある被告所有の木造瓦葺平家建店舗居宅の西南隅土台の南西角を(5) 点とする。
(5) 点より右建物の南側外壁に沿い東へ約七間の右外壁の東端を(6) 点とし、(6) 点より右外壁にほゞ直角に南に約一尺の地点にある被告所有の長さ約一間二尺の板塀の西南端を(7) 点とする。
(7) 点より右板塀に沿い東進し、更にその東に続く高さ八寸位、厚さ六寸位のコンクリート造の塀の土台の接地線に沿い(7) 点より約一二間一尺五寸の地点、即ち右コンクリート土台が、同所一番地の三、一番地の六の境界線に沿つて設置されている南北に通ずるコンクリート土台と交叉する部分の東南角を(8) 点とする。
(8) 点より(7) 、(8) 点を結ぶ線の延長線上東へ五間三尺の地点を(9) 点とする。
(9) 点より(8) 、(9) 点を結ぶ線に対して直角に南へ三尺の地点を(10)点とする。
(8) 点より(8) 、(9) 点を結ぶ線に対して直角に南に三尺の地点を(11)点とする。
(8) 点より北方に築造されている前述のコンクリート造土台東側面に沿い北へ三尺の地点を(12)点とする。
(5) 点より(1) 、(2) 、(3) 、(4) 点を結ぶ線に平行に北へ延長した線と(4) 、(12)点を結ぶ線の交叉点を(13)点とする。
(2) 点より右公路東側測溝の東側面に沿い南へ四尺の地点を(14)点、北へ二尺六寸の地点を(15)点、(8) 点より(8) 、(11)点を結ぶ線の延長線上南へ四尺の地点を(17)点、(8) 、(12)点を結ぶ線上(8) 点より二尺六寸の地点を(16)点とする。
(8) 点より(8) 、(9) 点を結ぶ線上四尺の地点を(18)点、(11)点より(11)、(10)点を結ぶ線上四尺の地点を(19)点とする。
(8) 、(11)点を結ぶ線上(8) 点より南へ一尺五寸の地点を(20)点とする。
別紙
第二目録
一、(イ) 甲府市竪近習町一番の三の土地上にある
家屋番号同町一番の八木造瓦葺平家建店舗、居宅一棟建坪二三坪
のうち第一目録(5) 、(19)、(12)、(8) 、(7) 、(5) 点を結ぶ線によつて囲まれた土地上にある部分、
即ち、右建物中(5) 点より北へ(5) 、(19)点を結ぶ線上三尺と、(5) 、(6) 点を結ぶ線を縦横とする矩形の部分
(ロ) 右建物中第一目録(2) 、(15)、(16)、(8) 、(7) 、(2) 点をもつて囲まれた土地上にある部分、即ち右(5) 点より右建物の間口(南北線)一尺、奥行(東西線)七間((5) 、(6) 点を結ぶ線)を縦横とする矩形の部分
二、第一目録(7) 点より(7) 、(8) 点を結ぶ線上にある長さ約一間二尺の板塀及び附着する出入扉。
三、右板塀に引続き第一目録(8) 点にまで達する第一目録掲記のコンクリート造の塀の土台及び右土台北側に沿つて生立している生垣。
四、(イ) 同町一番地の三の東南隅にある
木造トタン葺平家建物置一棟建坪一坪五合
のうち第一目録(5) 、(13)、(12)、(8) 、(7) 、(5) 点を結ぶ線をもつて囲まれた土地上にある部分、即ち右建物を中西南隅より間口(南北線)七寸、奥行九尺五寸を縦横とする矩形の部分。
(ロ) 右建物第一目録(2) 、(15)、(16)、(8) 、(7) 、(2) 点を結ぶ線をもつて囲まれた土地、即ち右建物西南隅より間口三寸、奥行九尺五寸を縦横とする矩形部分。
五、(イ) 第一目録(11)、(8) 、(9) 、(10)点を結ぶ線によつて囲まれた土地中、(8) 、(9) 点を結ぶ線に平行して(8) 、(9) 点より南へ約一尺五寸の線上にある有刺鉄線付木柵。
(ロ) 右木柵中第一目録(8) 、(18)、(19)、(11)点を結ぶ線によつて囲まれた土地中にある部分、即ち右木柵西端より四尺の部分。
第一図<省略>
第二図<省略>
第三図<省略>